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2023.03.22

めがね舎ストライク誕生秘話

こんにちは、こんばんは

めがね舎ストライクのブログにたどり着いていただき誠にありがとうございます。

 

今回はストライクが誕生した小話をさせて頂こうと思っております。

最後までお時間いただけるなら読み進めていただけると嬉しいです、喜びます。

 

思い起こせば2014年、僕(比嘉と申します)は、眼鏡の産地である福井県鯖江市に毎月1回通っていました。

 

なぜかというと、

 

オリジナルの眼鏡が作りたい、作ってくれる職人さんはいないのか??

という目的を持って、いろんな職人さんや企画会社の人と会って、話をしていました。

 

がしかし、です。

 

「1本だけ作ってください」

「毎回サイズ違いで作ってください」

 

を叶えてくれる職人さんはいらっしゃるが、1本だけでお願いするとものすごく高く、お客様に販売するにはあり得ない数字になってしまう。な状況(壁)をたたきつけられ、1年間通い続けた時間と交通費となんやかんやと、無にする厳しい状況を味わいました。

 

僕が直面した壁は量産発送でした。 

量産発想という考え方がどこの業界にもあります。

日本のものつくりは、その発想をうまく取り入れ、

いいものをできるだけお買い求めいただきやすいように数を作って、沢山のお客様にお届けする。

その状況を重ねる事で経済の発展につなげてきました、眼鏡業界でも同様で、量産発想の基に、職人・企画会社・問屋・小売店が成り立っています。

発想としては大切な事であり、否定も何もしませんが、あまりに真逆の事をやろうとしている為に、当時大きな壁でしたww

 

こりゃー厳しいなぁという状況ではありましたが、

私は諦めませんw(昔からめちゃくちゃしぶとい頑固もんでしたw)

 

「それだったら自分たちでやろう!!」

 

 

ということで、1本眼鏡を作ってみましたww

※その時に作った眼鏡です (今見るとなんだか可愛らしいです)

 

 

 

当時我が社はセレクトショップの眼鏡店を2店舗運営しており

会社のスタッフたちに、「職人誰かやらへん??」

と唐突にグループラインで聞いた僕。

そして「やりたいです!!」と答えたのが川谷萌というスタッフでした。

(川谷はその後、レクサス匠プロジェクト兵庫県代表選出、テレビ番組セブンルールで紹介される、など数々の偉業を達成するのですが、その頃の僕たちはそんなことも知る由もなかったww)

 

(ストライクの工房と川谷萌)

 

 

とは言え、自分たちで何ができるのか?

まずは、三ノ宮の高架下で飲食店をやっている友人に場所をお借りするところから始めました(間借りの眼鏡職人)。

 

 

ダーツやバスケなんかもできて楽しかったww

 

兎に角初めは、糸鋸で眼鏡の生地を削って、やすりを掛けて作っていく眼鏡作りをスタートしました。

工房は初めこんな感じでした。

 

 

 もうその頃は、昼間は眼鏡店で販売する

営業終了後、高架下で眼鏡を削る生活をしており、

毎日2時とかまで眼鏡を削る、生き方をしていましたw

 

初めてお客様にお渡しした眼鏡はこれです⭐️

ボストン型の使いやすそうな眼鏡です⭐️ 

 

頑張っていたとは言え、製造の機械類も整っていないし、

技術もままならんし、なんとも言えない状況を過ごしていました。

(2014年末ごろから2015年5月ごろまで)

 

機械類一式を買い揃えるお金もないがなんとか、事業を開始したい、なんとか事業を開始したい、なんとか開始したい、

と毎日考えており、国のものつくり補助金なるものを発見しました!!

そこからは、何もわからない僕ですが、補助金の申請書をコツコツ作り、

2015年5月の公募で申請し、なななんと申請が通り、事業化できる状況を作りました。

 

そして、2015年9月に今の場所に無事に引っ越し、機械類一式とデザインデータを作れるソフトやなんやと手元に届くわけです。

そっからは必死です。死に物狂いで、デザイン作成、切削機の稼働テスト、届いた機械類の使い方の勉強、何もかも初めて、全くわからない状況からの模索が続きます。当時はさらに朝方まで毎日眼鏡作りやデザイン作りを行なって、我ながらあっぱれです、川谷も頑張って技術を上げようと必死に取り組んでいました。

(もちろん今も日々模索しながら、製造状況を良くするなど行なっております)

初期の工房の様子です。

 

 

写真僕です、めちゃくちゃ若いwwペラペラやん。

 

 ※奥が工房になるのですが、まだ何もない。次男坊登場していますww

 

そして、死に物狂いで動かし

2016年2月29日 神戸ストライクがオープンしました。

 

 

懐かしいです、結局3Dスキャナーはうまく使えず、埃をかぶっております(涙)

 

 

とまぁそんなこんなで、ストライクは誕生し、それから7年間沢山のお客様、お取引様、友人、スタッフたちに支えられ、2020年に京都、2021年に福岡、そしてBAR業態、喫茶業態をもつに至りました。

今引いて見ると奇跡のような、9年間(準備期間も含む)を過ごさせていただきました、関わり合いのあった皆様に御礼申し上げます、誠にありがとうございました。

 

 

そして、これからも眼鏡のビスポークの文化が広がり、沢山のお客様に自分に合ったスタイルやサイズの眼鏡を届けていこうと、強く願っています。

これから新しくお会いする方、待っててください、あなたの喜ぶ顔を、素敵な眼鏡とのお付き合いを、提案提供していきます。

 

どうか今後もストライクをよろしくお願いいたします。

 

めがね舎ストライク 比嘉 大輔

 

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